さいきんのはなし(060111)

なんとなくだらだら文章を書きたい気分なのでさいきんのはなし書く。

年が明けてからは毎日絵を描いていた。

 

こころがしんどくてもう今日は描かないどこうかなと思ってもなんだかんだアトリエに向かえていて、えらいなあ、てんさいだ、しんらいできる、と思っているところ。

今日アトリエに行かないのは、週末、金土日に家事を気にせずがっつり制作に浸かるために今日のうちに家事をやっときたいのと、1月から仕事で新しい人が入ったから集中が必要で、明日1日集中しきったらたぶんなんとか回っていくだろう、の大事なときだから、明日に備えたいための能動的逃避である。

 

体力精神力集中力のおとろえ、のようなものを感じて、めちゃくちゃ仕事したあとでもいまの倍の時間、倍の負荷で働いても絵をもっと、若いころはもっとがーーっと描けていたのになどと思って、もどかしくなって昨日の夜はめそめそしてしまった。

ちょうど仕事でうまくいかないこと、大人とうまくコミュニケーションをとれなかったこともあって、絵を描かなければこんなにしんどくないのにみたいのがよぎって、それがつらくなっていたんだけど、

 

絵のせいにすんなよ

って思ったらなんかめそめそがすべて怒りに変わって、絵のせいにすんなよ、絵を描かなくても、むしろ描かなければもっとおまえは人間未満なんだよって思って、21時に部屋を出てアトリエに向かってて、たった30分だけど気になってた部分集中していじれて、完全勝利をおさめた。

そうやって私は勝っていくんだよな。

だいじょうぶだ。しんらいできる。てんさいだ。

自己肯定感の高低差はげしくて耳キーンなる。(平成のお笑い つたわれ)

 

とりあえずまじで心臓をささげないとできないよではあるんだけど、生活も守りながらでなければサスティナブルでないので、どうにか娑婆との両立をはかっている。

これができたら、これができたら私は一生絵を描いていける。より幸福に。

それができなくても一生絵は描いていくんですけども。

何も得られなくても、宗教だから、最優先で。理由はないんですけども。。。

しかし一体幸福ってなんなんだろうか、ウェルビーイング、頭がもちゃもちゃしてくる。

幸福なんて野暮な言葉、と思うと同時に、力への意志、より良い状態を目指すことが理にかなっている(make sence)とも思う。横断歩道を楽しく渡る。

 

爽やかで清潔な精神を得たい。

そういったきれいさを保ちながら出涸らしになりたい。

と願いながら、くさくてきたない(油絵具はくさくてネチョネチョできたない)四畳半の巣窟で、交感神経をギンギンに尖らせながら、ボロボロでぐちゃぐちゃの精神を吐き出しながら、忙しなく動き回っているのである。

おろか。

stay foolish 、と言ったのは或るまぎれもない天才で、

だからジャッジメントなんて意味をなさない(make no sense)のである。

 

要は、おちこんだりもするけれど私は私なりの「良い仕事」をしたいぜ、がんばるよ、見ててね、っていう、さいきんのはなしでした。