ゆらぎゆらいだ気候がようやく安定して、「もう大丈夫」って思えるくらい春になった。
勤めているフリースクールでは、開設して1番最初に入会してくれた子が卒業して、なんだか感慨深いきもち。中学校3年間うちのフリースクールで過ごして、秋に私が推薦書を書いて、無事推薦入試で合格した。4月から高校生。
がんばれ。がんばりすぎないで。幸せになってね。
なんていろんなごちゃまぜの感情で見送る。
もう会えないってうそみたいだ。
4月のはじまり、楽しいことがたくさん、お花見して、トークイベント行って、読書会行って。
まちのこと、文化のこと、なんかぼんやり考えさせられる。
トークイベント良かった。ずっとメモとってたら、トークゲストのひと最後のコメントで「まとめられるの嫌い、悶々として帰ってほしい」って言ってて、すいませーーーんとなったけどまとめちゃったし振り返りに役立つしお友だちのみなさんにだけ共有しちゃった。
おれたちってお友だちでいいかな。
「友だちって何?」ってフリースクールの中学生たちにそういえば最近聞かれて。
「私が〇〇ちゃんとフリースクールじゃなくて他の場所で出会って、このくらい仲良くなったら友だちだったよね」って言った。
「むずかしいねえ、」って結局大したことは言えなかった。
友だちってなんだろうねえ、答えのない問い、うまく言葉にしたいよねえ
「クラスの子たち誰とも友だちじゃない。フリースクールでいつも仲良く話してる子たちも友だちかどうかわからない。だって私のこと相手は友だちって思ってないかもしれないし。」って。
なんかわかる気がする。けど、大人になったら友だちか友だちじゃないかなんて結構どうでもよくなると思うんだよな。友だち、って子どもの頃だけの概念な気がするよ。契約とかじゃないし、気づいたらなってるし、信頼ってそうだな。なんか。
そのときはなんか、うまく言語化できなかった。
もう少し考えて、14歳にもうまく伝えられるようになりたい。
14歳も自分の言葉で自分なりの答えにたどりつく思考体力をつけてほしいな、と。苦しくならずに自分の答えにたどりつけますよう。
私はけっこうじたばた泥臭くもがいて、なんだかんだ今もずっともがいて、今の自分にたどりついたけど、考えることって本来痛くも苦しくもある必要はないんじゃないかしら、と30歳になって思う。
歳をとったら丸くなるとかいうけど、こういう仕組みなのかなぁ。
生牡蠣のような感受性。茨木のり子の詩に出てくるフレーズ、私はそれを失っていくのかなぁ、でも痛みや苦しみから解放されるのは良いことだとも思う。
むずかしいねえ、
むずかしいままでいいとも思う。
あいまいなままで。答えなんて出さなくて。
シャボン玉みたいに生まれては消えて、いろんなところに漂ってく思考を、他人事みたいにぼんやり眺めて、この大好きな季節は束の間に過ぎていくんだろう。
父に末期の癌が見つかって、余命宣告されて、春に桜の前で遺影を撮ろうとしたんだけど、桜のきれいなとこについていざカメラを構えたとき、「桜と一緒に散るみたいな気がしていやだ」って駄々こねたからやめたらしい。
遺影は結局何年も前の親戚の結婚式に行ったときの集合写真から切り抜いたものになった。
父が死んで7年経つけど、毎年母がその話をする。
「死んだらあの世に桜をもっていきたいから」って、桜の前で遺影を撮ってほしいと言う。
遺影に写った景色をあの世に持っていける、って、なんかロマンチックで素敵だな。
死後の世界ってあると思う?
死んだことある人っていないからわかんないけど、わかんないものをわかんないまま、「そう信じた方がやさしいから」って信じるのは、人間のかわいいところだと思う。
明らかにされすぎないでほしいよね。
明らかにならないこと、価値を測れないこと、あいまいなものが追いやられていって、小さく窮屈になっていって、続けられなくなったら終わっていく。
人間が生きていること自体、意味わかんないわけわかんないあいまいなものなんだから、そのあいまいさを受け入れて「束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ」と私は思うんだけど、人びとがあいまいさを「住みにくさ」と捉えてしまっているからどうも食い違うんだろうなぁ。と思う。
対立するのも面倒だから、「娑婆・・・」と薄目で見るようにしてきたけど、30歳、人生の序論を終わって本論を書いていきたいから、娑婆にも足を踏み入れていきたい気がする。
娑婆で泣いてる子どもたちが、親御さんがいるのは事実だし。もうだれも泣かないために。昨日よりやさしい世界をちょっとずつ。という気持ち。ぼんやり。ぼんやりと思ったりする。