「絵具つかって描いてみたい」と中3生に言われたので、絵具を出した。
「学校行かなくなって、絵を描くのもやめちゃって。絵具も、もらった賞とかも、全部捨てちゃおうかなって思って。捨ててはないんですけど…」
って言っていた子が、今日はじめて、自分から絵具出して、絵を描いた。
鉛筆をとったかと思えば私がちらっと見たとたんに全部消しちゃってた子で、少しずつここに通うことに慣れてきたら描いても消さないようになって、作品の写真撮らせてくれるようになって、それで、今日、絵具つかって描いた絵が、もうかなり素敵だったので、うれしくてスキップしたい気分。
描きながら、
「こんな絵描いたって」
とつぶやくので聞いていると、
「こんな絵描いたって、だれにも評価されなくて。かわいい女の子のイラストとかならSNSに上げたらいいねつくけど。」
とのことで、わたし思わず私情がかなり入ってしまって
「でも評価されるために描いてるわけじゃないでしょ?」
ってすかさず言ってしまった。
「私〇〇ちゃんの絵はすごい、すごい良いと思ってて、すごい、センスあると思ってて、うらやましいくらい、でも、そう言ってもらうために描いてるんじゃないでしょ?私はそうだよ」
と、なんか私情が入りすぎてなぜか子ども相手にちょっと緊張ぎみでつたない言い方になってしまって、でも言ってよかったと思う。ちゃんと伝えなきゃ今日眠れなかったと思う。
「どんなに苦労してこだわって描いたって、美術館にかざれるようになったって、SNSに上げたいだけのチャラチャラした若い人たちの自己陶酔とか承認欲求に協力するだけになるでしょ?だからわたし、絵の道には進まないんです。絵で食べていけるなんて、みんなに人気が出そうなかわいいとかきれいな絵を描ける人だけだし」
なんて、どこで読んだんだろう、何を知っているんだろう、どうしてそう考えたんだろう。
もっと描いてよ。
もっと描こうよ。
なんだかそう思ってしまった。
赤の他人なのに、描く描かないはその人の自己決定で私には関係ないのに、
強くそう思っていた。
でも言わなかった。
そのかわりに
「そういう人もいるけど、結構たくさんいるけど、でも私は違うよ。少なくとも私は違う。そうじゃない人もいる。美術館で、ほんとうに真剣にその絵のことを見て、何度も思い出して、それを糧に生きてる人もいるよ」
というようなことを言った。
私が居る。
私が居るから、もっと描いてよ。
私ももっと描くから、描いてよ、と思う。