考えてもしょうがないと思います

あることに激怒し、かの邪智暴虐な王を除かなければならぬと決意したとき、17歳の頃に自分の口から発せられた「考えてもしょうがないと思います」という言葉がなぜか蘇り、途端に恥ずかしさの混じる苦々しい感情に襲われた。

 

美術大学の実技試験に向けて作品を制作する、いわゆる美術予備校の先生に向けて発せられた言葉だった。

 

考えてもしょうがないと思います。

 

うつむいて目も合わせず反抗的につっぱねるように言う私は、なんと苛だたしい生徒だったろう、と大人になって思う。

定期的に思い出してアーーと叫びたくなってしまう思い出がいくつかあるが、その中でも1番思い出す頻度と鮮度が高いのが13年前のこのシーンだ。

走馬灯にも出ると思う。

 

高校生の頃、普通科の文系進学クラスにいたのでクラスのほぼ全員が大学受験を控えていた。そのため土曜日にも補習授業があって、私はその補習を途中まで受けてから、特急列車に1時間強乗って、少し(30分くらいだったと思う)遅刻して美術予備校に毎週通っていたのだった。

 

美術予備校の先生のことは正直言って嫌いだった。

 

有名な私立美大を卒業して、東京で大手美術予備校の講師をしていたがその指導方針に嫌気がさして(「受験対策」で「暗記」のような描き方を教え込むのに納得いかなかったそう。)私の住む地方に美術予備校を立ち上げた。県内では当時、本格的に美大受験をサポートしてくれるところがそこしかなかった。1時間強かけて通うしかなかった。

「直線が嫌い」なので東京は嫌い、ここでの暮らしは快適だと言っていた。

 

若い頃毎日死にたくてどうしようもなくて、でも何かしがみつけるものを見つけたくて哲学や宗教の本を読み漁っていたら「色即是空」という言葉に出会ったんだ。全ては関係している。そう思うとそこにあるものがキラキラして見えた。なんでもない電柱すらも。自分は生きているんだってそのとき初めて気づいて感動したね。

 

目の前でヒョウジュンゴでぺらぺらしゃべる大人が、講評のたびに何度もしつこく同じ話をする変な大人が、嫌いだった。

 

だからすべては関係で成り立っているんだよ。光も影も。空間も物質も。それに気づけばこの石膏像のすばらしさに気づくと思う。この石膏像に感動すると思う。考えてみなよ。

 

「みる」ってどういうことか考えたことある?いろんな漢字で書けるでしょ?いくつ思いつく?みることと描くことの関係性がわからないとデッサンはできないよ。考えてみてよ。

 

何度もしつこく同じ話をしていたので、音声ごと思い出せる。

絵を描く上で忘れてはならない重要なそれらを、きちんと当時の言葉のまま再生できる。

「考えろ」というのがその先生の口癖だった。

 

当時、高校2年生〜3年生の2年間の生活は、公的ブラックでおなじみの中学校教員の仕事を経験した今でも感心するほどハードだった。平日は帰宅後深夜1時まで膨大な量の宿題をして週に2日は塾にも通い、土曜日は補習のあとそのまま休憩なし6時間のデッサンに突入して23時前に帰宅し、日曜日は模試を受けて毎日疲れ切っていた。授業なんて集中できなかった。時には宿題をやりきれずに職員室に呼び出されて怒鳴られた。世界史の若い男の先生。「甘いんじゃ!」という大声が響いて、静かに作業をしていた先生たちの視線が一瞬だけこちらに向いたのがわかった。「成績落ちとるの自分でもわかるやろ?お前1年生のときはもっとやる気あったやろ?」

 

「受験は団体戦ですからね!」「割れ窓理論って知ってますか?1つ窓が割られていたら、どんどん他の窓も割られていくんです。1人やる気のない人がいたら、全体がだめになるんです。」キリッとして実力があってみんなに慕われていた担任の女性教師の言葉も、いつまでも覚えている。

 

体を引きずるようにして、それでも、大学で4年間、思う存分に絵を描いていられる生活を夢見て、毎日必死で通っていたら、美術予備校の先生が事務室に呼び出してこう言った。

 

「補習行ってから、毎回遅刻してきてるでしょ。補習に行くのは今の君に本当に必要なの?ここでも学科試験のテスト何回か受けたけど、学力は足りてるでしょ?実技、正直言ってこのままじゃあぶないよ。よく考えてみてよ。」

 

よく考えてみてよ。

 

人の事情も知らずにズケズケと踏み込んできて、全てを私にゆだねるように「考えてみてよ」なんて言うこの大人が、嫌いだと思った。

命令してくれよ。命令してくれたら、学校に「美術予備校の先生にこう言われたので補習はもう行きません」って言うから。それで「補習といっても教科書の内容を進めるので、出席しないと未履修のところがでてみんなのペースについていけなくなるのでそれはいけません」って言われて、そのままあなたに伝えるから。と思った。

「考えてみてよ」なんて言って、無力な私に、身動きのとれない1人の生徒に全てを委ねるなんてずるい大人だ。大嫌いだ。

 

その苛立ちと嫌悪感の全てが、言葉になって、こぼれ落ちた。

「考えてもしょうがないと思います。」

 

ーーー

美術予備校の先生はパワハラモラハラ体罰の人間だったので、(実際に「昔ならこんな絵を描くやつ、はったおしてたけどね!」「女の子だから、本気で絵で食っていこうとか思わないんだよね」「覇気を感じられないね。プラスチックみたいな人間だよね。」等言っており、やばかった。)私がその事件以降めちゃくちゃ嫌われてからは、あからさまにイライラされてた。

 

で、戻るけど

私がいま、絶対に思考停止しないぞ、考えるのをやめないぞって意地になってて、たとえば自分にとって不利益があってもおかしいと思うことには抗議したいとか、足動かしてどうにかしたいとか、思ってるのって、あの情けなさと悔しさのせいだと思う。

 

あのとき、あの小さい社会の中で、考えてしょうがあったかどうかは今でもよくわからないし、まぁ普通に、もっと学校にも美術予備校にも頭と言葉をつかって説明できたら根拠をもてたら苛だたしい生徒にはならなかったのはそうだけど、

 

大人になった今なら、考えてもしょうがないことなんてない。

13年前のこと、未熟でしんどくて苦しかった頃のこと色々思い出して、その一つも欠けてはたどり着けなかった今のことを思って、全てを自分にとっての正解にできたことを誇りに思って、考えてどうにかできる大人であることを、その自由を噛みしめて、どうにかしていくかぁって思っているのでした。

 

いやー、自由になったのだ。

生きるのはたぶん最高です。