わからないのはなし

絵を描いていて

私は、私が「そう」だと思った方法で、「そう」だと思ったモチーフを、自分の腕と筆を通して真っ白い画面に何十時間も費やして構築していくんだけど、

 

先日、夢をみて、面と向かって

「意味がわからない」

と言われてしまって、とてもつらかった。

 

実際には、誰かに自分の絵について「意味がわからない」と言われたことはない。

誰かが誰かの絵をみてその人のいない場所で「意味がわからない」と言っているのは見たことがある。何回もある。

 

夢、ずっとつらくて、起きてからもつらかったんだけど、

次の日の夜も、その次の日の夜もつらかったんだけど、

なんでつらかったんだろう?

 

よくわからない。

辛くてめそめそ泣いてたけど翌朝けろっとしてて、なんだっけ、まぁいいや、みたいなことはよくあるし、今回のもそうだったと思う。

 

私にとっては「そう」でなければならなかった、と確信をもてるものを、堂々とつくりたい、と思っている。「そう」ある以外にあり得なかった、最善にして唯一だった、と思えるものを。

 

いつか別の誰かが“「そう」だよね”と言ってくれるかもしれない。言ってくれないかもしれない。誰も言ってくれなくても。

 

共感とかが目的じゃなくて、承認とかも目的じゃなくて、

じゃあなんでやってるかっていうのは、

 

わからなくていいし、

わかってもらえなくていいし、

わかられてたまるかよとすら思うし、でも、

 

黙ってうなずいてくれたら、

しみじみと見入ってくれたら、

私が美術館で心高まるあの感覚のようなものを、あなたも抱いてくれたら、

 

生きていてよかったって思える瞬間になるだろうと思う。

 

誰かじゃなかったとしても、誰もいなくても、自分自身でうなずけるような、見入ってしまえるような、心高まるようなものが、いつかできたら、その瞬間に死んでもいいって思う、自分にとっての幸福は、でもやっぱりそれだと思う。

 

だからそういうのを、わからなくても、わからないと口に出さないで、どうか、

「そう」なんだね、って、フーンって、言って。見ててね。

わたしは「こう」だよって、あなたのもおしえてね。