ジャッジメントのはなし

ジャッジしたくないし、されたくないんだけど、人間界常にそれが求められている気がする。

「あなたはどういう人間なんですか?」「これはどのくらい価値があるんですか?」

 

このあいだお酒飲みながらのんびりまったり話して、合コン行ったことない話した。

のんびりまったり話すの良かった。おだやかな秋の夜。あんな夜が何ヶ月に1回くらいありたい。

 

合コン行ったことないけど階段から落ちたことなら5回ある。

腕骨折したことは1回。

 

これひと昔まえのツイッターでめっちゃ好きなやつあるんだけど、みんなも読んでほしいです。すき。

togetter.com

 

合コンって行ったことなくて、マッチングアプリもしたことなくて、婚活もしたことない。

そういうのでしか出会いないよ~はみんなに言われるしみんなにすすめられるけどしたことない。

 

そういうのって目的が先にあって、その目的に「ふさわしいか」「値するか」、deserveが大きくあって、考えすぎだよって笑われるかもしれないけど怖くてできない。

私はnot deserve、値しないので

そんなことないよって言われても、そんなことあるし、そんなことしかないので。

誰が何と言おうともあなたがたの期待にはぜったいにぜったいに答えられないので。

 

 

 

人、知らず知らずジャッジしてると思う。

 

これは良い、これは悪い、オシャレ、ダサい、ふさわしい、ふさわしくない

 

絵とかもそう、音楽とか、舞台とかも、もっと言うと日々の出来事も

 

良い悪いではなくない?って思う

たとえば乗りたかった電車乗り遅れたとか、財布落としたとか、ウンチ踏んだとか

うわ~サイテ~~って気持ちになる出来事も、

良い悪いではなくない?って思う

 

いや財布落としたら最悪すぎる。

 

さみしい夜も、しんどい過去も、億劫な明日も

良い悪いではないんだよな、ジャッジしたくない。

 

クソじゃんって思うニュースや他人の思考や発言やその他もろもろも

 

いやクソなことはクソだし最悪すぎる。

 

何が言いたいかわかんなくなってきた。

 

ジャッジメントってなんか、エラソーだっておもう。

ジャッジする資格も、ジャッジされる筋合いもないんだよなぁ、たかが人間に。

って言ったら変で理解しにくいからボツでしょうか、

 

自分と向き合いたくないだけかもしれない。

変なこと書いてすみません。